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<アジア諸国レポート Vol.2>
夏祭りに沸くダバオと、就任から2カ月経った
ドゥテルテ大統領【最新フィリピン事情】

はじめに

リオのカーニバルもかくや、とまで言ったら少しオーバーでしょうが、8月中旬のフィリピン・ミンダナオ島のダバオ市はKADAYAWAN(カダヤワン=幸福、収穫の意)と呼ぶ夏祭りで盛り上がっていました。
ロドリゴ・ドゥテルテ新大統領の誕生から2カ月、彼の出身地でもあるこの地の夏祭りは、例年以上の活気であふれかえっていました。これまであまり、訪れることもなかった日本からの団体観光ツアーもあって、マニラからの国内線はどれも満席。変わりつつあるダバオの今と、就任から2カ月を経たドゥテルテ大統領の動きを追ってみました。


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まるでサンバ・カーニバルのようなカダヤワン祭りのパレード

カダヤワン祭りと麻薬撲滅

ダバオ空港に到着するや、ロビーではサンバにも似た踊りと楽器の歓迎。ただでさえ陽気で賑やかなフィリピン人ですが、さらにかきたてられます。街もこの祭りの装飾で華やいでおり、ドゥテルテ大統領の顔写真の入った麻薬撲滅を訴える大きな看板とともに、街全体が選挙後のお祝いムードの延長といった感じです。地元ガイドの話によれば、このカダヤワン祭りもドゥテルテ氏がダバオ市長時代に活性化させたのだそうです。
海外への出稼ぎ者が多いのは、南部も例外ではなく、その送金による後押しもあって、フィリピン経済は高い成長率を維持しています。S&Mやロビンソンといった首都マニラと同じ系列の大型ショッピングセンターも賑わっています。
また、日系人会やミンダナオ国際大学(MKD)などのあるラナン地区には日本食レストランやフードコートもでき、この日本食コーナーにはカツ丼、カレー、ラーメンといった定番メニューも並んでいます。さらに、オーナーが日本人という高級美容室もオープンしました。


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左写真:MKD前のフードコートでは日本食も人気だ
右写真:ミンダナオ国際大学(MKD)

 
ここは美容室というより白亜の御殿といった感じで、プールも備わった店内には、素人目にも高級な鏡台や洒落た椅子がゆったりと配置されています。ちなみにここの料金は、カラーとトリートメントで1,925ペソ(約4,600円)からと、庶民には少し手の出ない感じ。それでも自信のあらわれでしょうか、フィリピン人の経営者は笑顔で案内してくれました。
ミンダナオ島というと、危ないゲリラの島といったかつてのイメージからは明らかに変わりつつあります。

日本からの求人照会も活発化

一方、ドゥテルテ人気もあってか、人手不足に悩む日本からの求人や人材の照会も、ひっきりなしです。1990年の入管法改正により、日系人であれば日本での就労が可能になったことも背景にあります。ダバオには日本の領事館だけでなく、戦前・日本人街があったこともあり、日系人の活動も活発に行われています。しかし言葉の問題などもあり、日本からの問い合わせや現地に住んでいる邦人などが最も頼りにしているのが、以前にも本誌で紹介したことのある日本フィリピンボランティア協会(JPVA)です。
1991年、前会長の網代正孝氏と、今年5月に亡くなられた内田達男氏が中心になり設立し、今年で25年。今やダバオでは最も頼りにされている、といっても過言ではないでしょう。求人の照会から、夫婦げんか、医療機関での通訳と何でも飛び込んできます。
特に最近は、日本からの求人依頼が急増しています。しかし、こうしたブームともいえる動きについて、八木眞澄会長は「日比を繋ぐいろんな架け橋にはなりたいと思います。しかし、私共は求人紹介組織ではありませんので、無原則な人の紹介には組みしません。」と今のブームともいえる動きに釘をさすことも忘れません。

こんなところにも「高志人材」

ところで、日比双方の人達から頼りにされ、日夜活動しているJPVAとMKDの常勤の日本人スタッフは現在5人。そのいずれもが高い専門性を持った人達です。「こんなところにも日本人」といった感じで、紹介しましょう。
まず、現地責任者の町田隆一さん。フィリピン領事だった父親の影響もあって、マニラの大学院で学んだ英語力は同時通訳レベル。最近は翻訳まで頼まれて寝る暇もないほどの忙しさですが、頼まれると断れない性格ゆえ、当分寝不足が続きそうです。
スタッフのなかで一番の若手は、福岡県出身の本田沙織さん。岡山の大学院では体育学を学んだということで、中・高の教員免許も保持。今ではダバオ市の公立学校の教師らへのアドバイスの仕事も急増しています。
ソウルには大学院時代も含め5年間滞在し、もとより韓国語・ハングルはお手の物というのは井上直之さん。その後上海で1年半日本語教師をして、2年半前ダバオに来ました。現在はJPVAからMKDに出向し、日本語教育の責任者の役を担っています。
MKDのマリャリ・イネス学長は全フィリピンの日系人会々長も兼ねる多忙な人。この学長を補佐し、来訪する日本人の窓口になっているのが北仁美さん。富山県出身ですが、大学院までを京都で過ごしたためか、英語以外の日常会話は京都弁。
英語力に自信がなくて、もっと力をつけるべく、以前英語を学んだダバオに再び来たという増田恭子さん。TOEIC835点とか元JAL国際線のCAという経歴に加えてワインのソムリエの資格も保持していますが、すんなり受け入れられるのは人柄ゆえか。これからは、この英語力で貢献します。
このほか、MKD日本語センターの講師やボランティア、インターンなどの日本人スタッフもいます。
現在、日本はポイント制などによるキャリアや実績のある、わずかな「高度人材」を除いては、外国人の就労にあまり門戸を開いていません。博士号取得者や大学院卒の修士といった人を優遇し、それ以外の一般外国人の就労にはさまざまなハードルを設けているのです。この結果、介護現場などでは危機的といってもいいほどの人手不足が進んでいます。
その一方で、同世代の若者たちと比べたら、決して恵まれた勤務条件とはいえないなかで、途上国支援をはじめとした、さまざまな高い志を抱いた人材が、東京から約4000km離れた南の島で活動しているのです。


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ドゥテルテ氏が建立した日本人慰霊碑の脇の大きな木の下では子供たちが「墓守り」をしながら遊んでいた

「南マラカニアン宮殿」

ドゥテルテ大統領は、就任したらマニラのマラカニアン宮殿だけでなく、半分はダバオで執務するといった方針を打ち出してきました。事実、ひんぱんにマニラとダバオを往復しており、先頃の岸田外務大臣との会談も、GDPの発表もダバオで、といった調子です。元のパブリックハイウェーの事務所を手直ししたといわれるダバオのオフィスは、さながら「南のマラカニアン宮殿」ですが、もとより本家のように豪華ではありません。そればかりか自分を呼ぶのに、わざわざ「閣下」などと敬称はつけるなと厳命しています。
麻薬撲滅や腐敗の追及を至上命題とするドゥテルテ大統領がかくもダバオにこだわるのは、出身地ということのほか、暗殺のリスクを少しでも回避するといった狙いもあるかもしれません。就任にあたり、大統領警備隊のスタッフを入れ替えたりしたのも、そのためでしょう。こうした動きは身内にも徹底しており、ドゥテルテ氏の後を継いだ娘のサラ・ダバオ市長ですら、同氏と会うのに苦労するといわれるほどです。

射殺批判に猛反発

最近では、以前から麻薬がらみの噂のあった、かつての司法長官(法務大臣)の女性上院議員を正面きってヤリ玉にあげ、愛人のドライバーに麻薬の金を集めさせていると追及しました。その一方、麻薬犯罪人には厳罰をといった流れの中で、700人以上が警察官らに射殺されたとして、国際世論などから批判の声もあがっています。しかし、「逮捕はいいが、安易な射殺などはするな」というドゥテルテ大統領ですが、「射殺批判」には猛反発。一時は記者会見をボイコットしたり、最近では国連脱退も辞さないといった驚くほどの発言までしています。これだけではありません。麻薬売人同士の衝突や「自警団」によるとみられる射殺も1,000人を超えるいわれ、事態の複雑さをあらわしています。しかし、ドゥテルテ大統領にひるむ様子はありません。


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大統領の追究に渋々「半分は事実」と麻薬スキャンダルを認めたデリマ上院議員

 
ちなみに戦後の国連の歴史のなかで、人口1億人を超える大国で「脱退騒ぎ」を起こしたのはインドネシアだけ。次は何が飛び出してくるかといった関心は高いものの、「国連騒動」には総じて市民は冷静です。地元の新聞やTVでも連日、デリマ上院議員への追究の方がトップニュースになるほどです。
筆者自身、ダバオやマニラでこの点について10名以上の市民に聞いてみましたが、ほぼ全員が「警官や裁判官、さらには国会議員までが麻薬に汚染されているなかで、命懸けでやっている大統領のやり方は当然だ」と言います。
とはいえ、民主主義が保障されているなかで、抵抗したとはいえ令状なしの射殺は行き過ぎではないかといった、いわばステレオタイプともいえる質問に、ある市民はこう言いました。
「それを言うなら、米国では罪もない黒人を白人警官が射殺する事件が、一向に減らないではないか。麻薬密売人は犯罪者だ。こうでもしなかったら、麻薬撲滅など永遠に出来ない。」
「フィリピンは言論の自由もある民主国家だ。しかし、逮捕状を出す裁判官の中にも麻薬犯はいる。」といった具合です。もうこうなると、警官がピストルを抜いただけで、ニュースになる日本などは別の世界のようです。
ドゥテルテ氏というと過激な言動に注目が集まりがちですが、カダヤワン祭りや本誌・前号でも紹介した日本人慰霊碑の建立、さらには東日本大震災の際の被災者のダバオへの無償での受入れ表明といった、当時ほとんど注目されなかったような地道な活動も地元では知られているのです。この辺りもきちんとフォローしないと、時に大胆に時に柔軟に動く「バルカン政治家」たる同氏の動きは増々とらえにくくなるでしょう。
フィリピンの大統領は一期6年と限られています。比較的高い支持率を得ながらも、犯罪とりわけ麻薬撲滅は成し得なかったアキノ前大統領。もしかしたら、ドゥテルテ大統領はこの前任者からも学んでいるかもしれません。一部に健康不安説などもささやかれていますが、そんな噂をかき消すかのように、ドゥテルテ大統領は今日もダバオとマニラを往復しながら、活発に動き回っています。

 

追記
本誌前号でドゥテルテ氏がダバオ市長時代に、ミンタルの日本人墓地に日本人慰霊の無憂の塔を建立してくれたことを紹介しました。この関連で沖縄県の関係者から、ドゥテルテ氏はダバオ郊外のワイアレスにも公共の土地を提供してくれた。お陰で、沖縄県ダバオ会として「鎮魂の碑」を建てることができた、というご指摘をいただきましたので紹介させていただきます。


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今年の夏もダバオでは沖縄県ダバオ会主催による慰霊祭がワイアレスで開かれた
<写真提供・アールスドリーム社>

 

著者・経歴
株式会社ハートシステム 代表取締役
研修セミナー講師・ジャーナリスト他
坂内 正