はじめに
2017年2月、朴槿恵大統領(当時)の退陣を求める市民らのデモで揺れるソウルを訪問し、韓国社会の現状について本誌(№124)で「歴史を旅する韓国・ソウル&仁川の今」と題して紹介した。その後、朴前大統領の罷免・逮捕を受けて、5月に大統領選が行われ文在寅(ムンジェイン)氏が当選した。
李明博、朴槿恵と2代続いた保守政権を破った革新の文在寅新大統領就任から約半年。韓国・ソウルは今どうなっているか、韓国人はどう考えているのかを探るべく、10月下旬、再びソウルを訪ねた。
デモ・集会のメッカは光化門広場
北緯38度線に位置するソウルは、新潟や仙台とほぼ同じ緯度にあるが、大陸性気候のせいで、普段は寒いことが多いと前回紹介した。しかし、筆者が訪れた10月下旬は、この地域特有の、三日寒い日が続いた後、四日暖かい日が続くという「三寒四温」には少し早い時期ではあったが、日本より4~5度暖かいポカポカ陽気が続いていた。
左写真:李舜臣将軍像前には、トランプ大統領来韓反対の看板
右写真:李明博元大統領を逮捕しろ、とビラも過激だ
だが、この陽気に背くかのように、ソウル市内では市民団体や労働組合などのデモや集会が、連日行われていた。今やデモや抗議行動の聖地と化した感のあるのが、中心部を南北に走るメイン道路・世宗路。ソウル市庁舎前から一直線に光化門、景福宮、青瓦台へと望む広い道路だ。
片側5車線以上はあろうこの世宗路の中央にある光化門広場が、集会のメッカだ。ここには文禄・慶長の役(壬辰倭乱)で豊臣水軍を打ち破った李舜臣(イ・スンシン)将軍やハングル(文字)を考案した世宗(セジョン)大王の大きな像もある。朝鮮半島の歴史を通じてのナショナルヒーローに見守られてか、集会時のスピーカーの音量はいつも最大だ。おかげで近隣のホテルや免税店前も、時々交通がストップする。
筆者が光化門広場に行った時にも、集会が開かれていた。ここでは、前政権が任命した放送文化委員会の6名の理事を罷免し、新たな理事のもとで、前政権時代に任命したTV局の社長も入れ替えろといったアピールがされていた。公共放送・KBSやMBCの労組は、この要求を掲げてもう2ヶ月もストライキを続けている。日本流にいえば、NHK経営委員会のメンバーを入れ替えて、NHK会長の首をすげ替えろといった感じだ。集会はこれだけではない。李明博(MB)元大統領を捕まえろとか、トランプ米国大統領来韓反対などというのもある。これに日常的な労組の要求や様々な抗議活動も加わるから、賑やかだ。
左写真:光化門前の米大使館はいつも厳戒体制
右写真:最近人気なのがレンタルのチマ・チョゴリだ=景福宮
明洞(ミョンドン) 今・昔
明洞と聞けば、今では多くの人が、渋谷と原宿を足したような若者・観光客向けのファッションやレストランの街を思い浮かべるようになった。中国人観光客の激減で、さぞや閑散としているかと思い、滞在中何度か訪れて見たがさにあらず。最近はベトナムやインドネシアなどからの観光客がその穴を埋めるように来ている。特に夕方から夜にかけての賑わいは、以前とそう変わらないほどだ。日本人観光客は減ったといわれるが、日本語の看板はまだまだ多い。
この明洞の通りの奥の小高い丘の上に、カトリック明洞大聖堂がある。19世紀末に建てられたこの教会は、1980年代の軍政下、民主化を求める学生らの集会がしばしば開かれたところだ。何しろ当時は、弾圧や逮捕覚悟の集会だったが、この場所を貸した教会側にも相当な胆力が求められたであろう。アジアでは、フィリピンに次ぐキリスト教大国のカトリック総本山ならではである。民主化が進み、集会のメッカが移転したことで、そうした歴史を知る人も少なくなってきたようだ。
筆者が訪れた時は、ここも暖かな昼下がり。そんな歴史を知ってか知らずか、明洞のけんそうから一息入れに来たとおぼしき観光客が、静かな教会を眺めていた。
左写真:明洞は各国からの観光客で、終日賑わっている
右写真:明洞大聖堂は韓国カトリック教会の象徴でもある
議論好きは恨(ハン)の思想の影響か
一般的に、日本人同士の間では政治や宗教のことで、口角泡を飛ばして議論するといったことは、滅多にない。収入や学歴などについても、あからさまな会話はあまりしないのが大人のマナーのようになっている。
ところが韓国は違う。友人同士にとどまらず、夫婦や兄弟でも1つの政治的テーマについて、議論することが普通だ。口論になることも、しばしばだ。また、許せないと思った政治家などに対する怒りや抗議には、自らその集会などに参加してでも、その意思を表す。最近は、その怒りの矛先が財閥のトップにも向かうようになってきた。ここには、朝鮮半島の古くからの歴史や文化に根ざした「恨(ハン)」という、怒りや悲しみの概念にもとずくエネルギーが背景にあるようだ。
日本のように、あうんの呼吸とか中庸の徳、といったものはあまりない。それどころか、特に政治的な争い事になると「水に落ちた犬はたたけ」とばかり、徹底的に糾弾する。だから、たたかれた側の恨みもなかなか消えない。かくして、止めどなく争い事が続くことになる。
左写真:日本大使館前の少女像も秋の装い
右写真:ソウル駅前の高架車道は、空中遊歩公園になった
理想と現実に揺れる文在寅政権
対北、財閥、原発政策などで、革新政権らしい様々な理想や理念を持って誕生した文在寅政権だが、スタートから半年経った今、様々な難題に立ち往生している。北朝鮮や中国との向き合い方、米国との立ち位置、原発、財閥、若者の雇用問題などだ。
ここではTHAAD(サード)と原発問題について触れておこう。
まずは、THAADと呼ばれる米国のミサイル防衛システムの設置問題だ。中国側からの強い抗議にも拘わらず、前政権の時にその導入を認めた。これには中国の軍事情報が丸見えになると、中国側は激しく反発し、設置場所を提供したロッテグループに対し、中国市場からの排除までチラつかせた。そればかりか、近年急増していた中国から韓国への観光客も制限する措置までとった。秋に5年ぶりの党大会を控えた中国にとって、安易な姿勢は見せられなかったのだ。これで韓国民のなかには数千年に及ぶ陸続きの大国の脅威を今さらながら感じた人も多い。
しかし、もう少し経過も含めて掘り下げてみると、別の問題も見えてくる。2年前の2015年9月、中国は「抗日戦争勝利70年」の記念式典と軍事パレードを開いた。対日関係が悪化しているなか、文字通り、国威発揚をかけての式典にあたり、各国首脳への参加を呼びかけた。しかし、国家元首クラスは23カ国が参加表明したものの、主要国はロシアのプーチン大統領と韓国の朴大統領(当時)の2人だけ。ちなみに、3番目に並んだのが、カザフスタンのナザルバエフ大統領、4番目はウズベキスタンのカリモフ大統領であった。
多くの主要国首脳が参加を見送るなか、国を挙げての式典にいわば2・トップの1人として、「国力以上」のもてなしをしたのに、いとも簡単にTHAAD導入を受け入れるとは何事か、といったあたりが中国の本音だろう。しかも、式典参加前、当時の朴大統領は米国などの参加見合わせの要請には、事前に回答すらしなかったのである。大国の狭間で生き抜くトップとしての思慮は十分であっただろうか。
朴氏とすれば、嫌日の韓国世論受けと中国へ恩を売れるという一石二鳥のチャンスとでも思ったのかもしれない。しかし、この思惑ははずれ次の政権にまでツケを持ち越す高いものについた。
北朝鮮に比較的融和的とされる文新政権も、さすがに現在の北の政策を直視した時に、THAADの撤去は直ちには考えられないという現実がある。しかも、前述のような経緯もあって、頭が痛いというのが本音だろう。
新大統領は「問題の人」?
もう1つは原発問題だ。文氏は大統領選で「脱原発」を主張していたが、10月に入って建設工事が中断している蔚山(ウルサン)市の建設途中の原発については、工事再開を表明した。脱原発や再生可能エネルギーへの移行という大きな流れと、着工済みのものをどうするかについては、地域などとの兼ね合いもあり、結局「現実的」な選択をした。これでまた、ただでさえ賑やかなこの国は、その是非をめぐって沸くことになるのだろうか。
出来もしない約束を重ねておいて、いざとなったら反故にする凡百の日本の政治家と同じなのか、はたまた、あくまで理想は高く掲げつつ、たまたま前政権のツケを払うために当面、現実的な対応策をとっているのか、議論好きのこの国の人たちは注目している。
また、文政権は7割前後の高い支持率を維持しているが、一連の対応について、「はっきりしない、白黒をつけろ」といった声も左・右双方から出てきている。なかにはムンジェイン氏の名前から、ムンジェ=問題、イン=人、を結びつけて何もできない「問題の人」だと皮肉る人たちも増えており、またまた国論が割れそうな兆しも見えている。
儒教の国たるゆえん
韓国は儒教の国といわれる。儒教の本家は、周知の通り孔子の故郷・中国だ。この儒教の進化形とも言える朱子学は、これまた南宋の時代の中国で広まったものだ。「尚文軽武」の宋は、武力に優る北方女真族の国・金に攻められ、南に逃れた王族が杭州を都として建てたのが南宋だ。異民族への反発が朱子学や尊王攘夷思想を発展させた。しかし、韓国の人たちの方が、我々こそ、儒教・朱子学の本家だという思いが強い。これには次のような理由があげられる。
14世紀末、朝鮮王朝(李氏朝鮮)を開いた太祖・李成桂(イ・ソンゲ)は、国の根本思想を、それまでの仏教から儒教に変えるという「崇儒排仏」政策と共に、明を宗主国とする「華夷の秩序」を受け入れた。これで盟主たる明に朝貢することは屈服ではなく、儒教の理にかなうことになった。それがまた、500年余の朝鮮王朝を維持させた背景でもある。
ところが、明の後に中国大陸を支配したのは、北方ツングース系の清、つまり金の末裔・満洲族(女真族)であった。漢民族に従うならともかく、異民族それも北狄の満洲族に服従するというのは、どうにも筋が通らない。しかし、清が中国大陸を支配したとあっては「腕力」ではかなわない。かくなるうえは「知力」でとばかり、儒教・朱子学の修養に努めたのが朝鮮王朝なのだ。その結果、理論的には、朝鮮王朝の方が純粋に進化(深化)させて、儒教の教えを広めたのである。遠く歴史を遡れば、自らもツングース系の民族で、清とは同根であるのに「小中華思想」に染まってしまい、内心では清を蔑視してきたのである。
これが今に生きる儒教の国たるゆえんである。これがため、その時点で正しいと思ったら、一つの事に集中して力を発揮するというエネルギーを有する一方で、ややもすると情緒的な判断に左右されたり、時に勢いあまって相手を罵倒したりする。
何しろ、儒教という仁や智、礼といった信義を前提にしているから議論好きだ。筆者の経験でこんなこともあった。知日派の韓国の知人に「韓国人の反財閥感情は鋭いが、その一方で自分や自分らの子弟をどこに就職させたいかと問うと、一番がサムスン財閥というのは矛盾しないか」と聞いた。すかさず、その知人から「日本人だって電通やNHKをブラック企業といいながら就職希望先としては、これらをトップにあげるのではないか。よらば大樹は矛盾しない。」――節操はないのか、と言おうと思ったが言葉を飲み込んだ。
なお、朝鮮半島で儒教、朱子学が広まった理由として、孔子の出身地が対岸の山東半島で近いからだという説もあるが、時代的にも合わないし、主たる根拠にはなり得まい。
花嫁の母親のチマ・チョゴリ
滞在中、韓国の結婚式に出席する機会を得た。ここで目についたのが、新婦の母親の服装。チマ・チョゴリ(韓服)の民族衣装は当然だが、上着のチョゴリが赤。新郎の母親はそうではない。実は以前、他の結婚式に参列した時にも、何故か新婦の母親のチョゴリだけが赤だったこともあり、同席した韓国人にその理由を聞いてみた。かつては上下共白のみだったのが、最近は多彩な色が好まれるようになったのは知っていたが、何故新婦の母親だけが赤いチョゴリなのかわからなかった。
「この赤の本来の意味は、娘をとられて悔しい、悲しいという、恨(ハン)の思いにも通じる色なんです。今はお祝いの意味で、赤だと理解している人も多いし、それでもいいかもしれませんね。」―― こんなところまで、恨の気持ちが込められているなんて、知らなかった。
そして、この赤い色に対して多様な解釈を許す、この韓国人の何気ない寛容さにもホッとした。
株式会社ハートシステム 代表取締役
研修セミナー講師・ジャーナリスト他
坂内 正