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<アジア諸国レポート Vol.4>
歴史を旅する韓国・ソウル&仁川の今

はじめに

お隣の国・韓国が揺れている。いや、もう少し言えば、揺れ続けているとさえ言ってもよいだろう。ごく最近に限っても、親友の便宜供与疑惑に端を発した、朴槿恵(パク・クネ)大統領に対する弾劾決議、ロッテグループに続いてサムスングループトップの逮捕、日本との関係では慰安婦の少女像撤去をめぐる対立、さらには北朝鮮のミサイル発射と米国のミサイル防衛システム(THAAD)設置をめぐる中国との緊張等々、大きなニュースに事欠かない。
一番近い隣国でありながら、何となくぎこちないのが、今の日韓関係だろう。そんな韓国を見るべく、2月中旬、ソウルに向かった。カメラと共に追ったソウルの歴史と仁川の現状を紹介しよう。

 

案外知らない言葉の相違点

まずは間違いやすい言葉から入ろう。
韓国・朝鮮の文字がハングルであることは、よく知られている。この文字は、14世紀末に成立した朝鮮王朝(李氏朝鮮)の第4代・世宗(セジョン)大王によって創られたもので、世界一合理的な文字と言われている。口の開け方からつくりまでが理にかなっているということなのだが、今ここでの話はそれではない。ハングルのことだ。
よく「ハングル語」と紹介されるが、ハングルが文字や言葉を意味するので、これだと「文字文字」になってしまう。富士山を英語で紹介するのに「Mt. Fuji」とすべきを「Mt.Fujisan」と呼ぶようなものだ。
次は苗字の例。金さん、朴さんと並んで多い李さんという苗字。日本人の多くは、「リーさん」と呼ぶが、これは北朝鮮での呼び方。韓国では「イさん」だ。
もう一つ、アパートの例をあげよう。ソウル中心部を流れる漢江(ハンガン)に沿って並び建つマンション群を指して、現地ガイドが「あのアパートは現代建設が建てたものです」などと紹介すると、決まって観光客のなかから「あれはマンションじゃないの」という声があがる。これは、どちらも正しい。つまり、韓国ではマンションのことをアパートと呼ぶのだ。
ついでにマンション、じゃなかった韓国のアパートについて違いを付け加えると、ベランダがないのだ。理由は簡単で、冬のソウルは寒いから、ベランダに該当する部分まで壁やアクリル板で覆っている。北緯38度線に近いから、日本なら新潟、会津若松、仙台とほぼ同じ緯度なのだが、大陸性気候ゆえに日本より冬は寒いのだ。
こんな、なぞなぞみたいな違いを挙げたら枚挙にいとまがない。要は我々が、常日頃、何気なく認識していると思っているようなことでも、こんな違いがあるということだ。

 


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左写真:メイン道路・世宗路から北に世宗大王像、光化門(景福宮)、青瓦台(大統領宮邸)と一列に連なる
右写真:李舜臣将軍像の足元にも朴大統領弾劾のテント村が設営されている
 

文字・言葉の話をもう一つ
韓国も日本も「ウラル・アルタイ語族」という語群に属している。近年はこれを否定する学説も多いというが、本稿の本筋ではないので、このくくりで論を進める。言語年代学などによれば、日韓の言葉は6000年くらい前に分かれたというが、確かなところはわからない。はっきりしているのは、英語や中国語のように「主語、述語、目的語」ではなく、「主語、目的語、述語」の順で文章が成り立ち、「てにをは」といった助詞が必要なところが共通している。共に中国の漢字を取り入れながらも、助詞が必要になり、日本はカナを、韓国・朝鮮はハングルを生み出した。単語を覚えれば、英語や中国語より理解しやすい、とも言われる所以(ゆえん)でもある。余談だが、モンゴルも同じ語族だから、モンゴル出身の力士が皆、日本語を上手く話せるのかもしれない。
もっとも、民族意識の高揚を図るべく、屋外看板から学校教育まで、ハングルを徹底したため、50代前半より若い世代の多くは、自分の氏名と新聞のタイトル以外、漢字が読めない、書けないという人が多数になってしまっているというのも現実だ。
ちなみに、民族的には、ごく大まかに区分すると「全農」の漢民族系、「全猟牧」の蒙古系のどちらにも属さない「半農半猟」のツングース系だと言われる。ツングース系の代表は、「金」や「清」を建国した満洲族(女真族)だ。

歴史や文化の回廊

中学・高校時代に学んだ歴史で、日本のことが初めて中国の歴史書に登場するのは、紀元前1世紀頃のこととして、漢書地理志にある「楽浪海中倭人有り」だ。次いで、3世紀には邪馬台国や卑弥呼を紹介したあの魏志倭人伝(三国志)で「倭人は帯方東南大海のなかに有り」と紹介された。倭人・倭国とは、周知の通り日本人・日本国のことだ。そして楽浪(郡)は漢の時代の中国が朝鮮半島に置いた植民地、帯方(郡)はこれまた魏の時代の植民地だ。
その後の歴史を通じてもわかる通り、朝鮮半島は日本にとって仏教をはじめ、大陸からのさまざまな文化を受け入れる回廊のような位置にあった。もちろん半島独自の文化も伝えられた。
しかし、16世紀末の豊臣秀吉による朝鮮出兵、文禄・慶長の役(韓国・壬辰倭乱)や明治以降の日本からの侵攻などで、「恨(ハン)」と言われるこの地域独特の思想とも相まって、日本に対し、今に至る複雑な感情を抱かせることとなった。
対する日本から見た場合の韓国は、「近くて遠い国」とか「扱いにくい隣人」といった形用の仕方もされるが、歴史を遡れば、簡単には氷解できない背景があるのも厳然たる事実だ。韓国の歴史上の英雄の2トップは、豊臣秀吉の水軍を打ち破った李舜臣(イ・スンシン)将軍と、伊藤博文をハルピンで暗殺した安重根(アン・ジュングン)というのが、いかにも象徴的だ。ここでは、歴代朝鮮総督のなかで、伊藤博文は融和的であったとか、安重根が収監された監獄の日本人看守が、彼の志に心を打たれ、密かに書をもらった、などというエピソードは、とるに足らない話でしかないのだろう。
また、従軍慰安婦の問題は、5億ドルの支援と引き換えに戦後賠償を放棄した日韓基本条約締結時の1965年(昭40)には、表立ってはいない問題であった。しかしその後の現代史の検証のなかで、さまざまな未解決事項や訂正されるべき事項も派生してきた。そして、ようやく50年を経た2015年末に、日本政府の責任を認定すると共に「不可逆的な解決」を確認した。このなかで、慰安婦・少女像の撤去も含めて解決を目指すとしたが、朴槿恵政権が機能不全に陥るなかで、反故になった感すらある。条約ほどの拘束力はないとはいえ、協定合意という、国と国との約束がいとも簡単に抹殺されてしまうところに、この国の怒りの根深さと危うさを感じざるをえない。

 


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日本大使館は建て直し中で、警護の機動隊の車列を前に少女像の背中も寂しそう
 

では対中国はどうだろうか。歴史的には、朝鮮王朝(李王朝)が象徴的だ。
周知の通り、圧倒的な国力差のある大国・中国とは陸続きということもあって、絶えず朝鮮半島の人たちは蹂躙(じゅうりん)され続けてきた。時に高麗時代の三別抄(さんべつしょう)のように、元と戦い続けた例もあるが、全体として見た場合の中国歴代王朝は、朝鮮側にとっては脅威ですらあった。
こうしたなか、それまでの王朝が仏教を国の理念としていたのを、李王朝を開いた李成桂(イ・ソンゲ)は、儒教を政治の理念とした。そして国の名前を「朝鮮」か「和寧(わねい)」か、明に選択してもらった。自分の国名まで決めてもらうほど、おもねたともいえるが、これも圧倒的な大国・明に礼をもって従うという正に儒教の教え、そのものであったともいえる。もっとも、10世紀から14世紀末まで続いた高麗(コリョ/こうらい)王朝は、元だけでなく再三にわたる契丹、遼など北方系民族からの攻撃をもしのぎ、最大の版図を築いた歴史もある。今日英語のKOREA(コリア)はこの高麗に由来する。かくのごとく、圧倒的な大国であった中国は、侵攻もしたが文化も伝えた。文化を伝えたのに攻めてきた日本のように憎しみを生じるだけの相手ではなかったのだろう。はたして、この朝鮮王朝は朝鮮半島における統一王朝として、20世紀初頭、日本に「併合」されるまで500年以上にわたって続いたのである。

財閥経済と政治

歴史の話が長くなってしまった。経済の話に移そう。
韓国は、GDPで世界第2の大国・中国と、第3の日本に挟まれているだけでなく、北朝鮮という同じ民族でありながら、特異な政治体制をとる国と隣接しながら、経済を発展させてきた。戦後、独立の歩みをスタートさせたこの国は、どこよりも急いで経済成長を図らねばならなかった。とりわけ、1950~52年の3年間、朝鮮戦争(韓国動乱)で荒れた国土を復興させるためもあって、明治時代の日本の「殖産興業・富国強兵」政策にも似た強力な政治を推し進めたのである。朴槿恵大統領の父・朴正熙(パク・チョンヒ)が進めた「開発独裁」政策を、経済の面から2人3脚で支えたのが財閥であった。
「漢江(ハンガン)の奇跡」と呼ばれる急成長政策とそれに続く経済成長で、今や韓国経済は人口5,000万人の国でありながら、GDPで世界11位にまで躍り出た。
世界に伍していこうというこの過程で、強引すぎるほどの成果主義や過度の競争、さらにはこれについていけない若者を中心とした失業者を多数輩出させてきた。やっとの思いで熾烈な受験競争と、その後の入社試験を勝ち抜いて入社した財閥企業。
しかし、ここでの更なる競争についていけずに脱落し、やむなく退職後に始めるのが「焼き肉屋」だ。しかし、所詮大企業崩れの脱サラゆえほどなく破綻し、駆け込むのが「サラ金」。そして、これが払えずにとうとう追い込まれるのが「自殺」。かくして、この頃ソウルにはやる「三多」が、焼き肉屋、サラ金、自殺なのだと、いささかヤケッパチ気味の話も聞いた。統計上の数値はともかく、今の韓国の一つの側面を現わしていることは否定できない。
「地獄(ヘル)朝鮮」なる言葉さえ生まれ、一部の権力者や財閥に対する怒りが、国を揺るがすほどに広がる所以である。
こうした苛烈とさえ言えるほどの争いは、最高権力者である大統領さえも巻き込まずにはおかない。戦後の歴代大統領が揃って亡命、暗殺、自殺、投獄、弾劾といった悲劇的な末路をたどってきたのも、過度の争いや追い落としが常に渦巻いてきたからである。ちなみに、唯一自殺にも投獄にも追い込まれなかったのが、李明博(イ・ミョンバク)前大統領だったが、退任後の国から提供される警護スタッフの住宅建築をめぐって、実兄が逮捕されている。政権末期、急遽、竹島(独島)に行ったのも、身辺への捜査の手が伸びていた頃であったのは、偶然だったのだろうか。

 


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李明博前大統領がソウル市長時代、暗渠(あんきょ)だったのを
きれいにしたといわれる清渓川(チョンゲチョン)

5大財閥

今の韓国では、俗に5大財閥と呼ばれる大きな企業集団が、経済の根幹を牛耳っている。
日本でも良く知られている、次の5つがそれだ。
・サムスン(三星)
・現代自動車(かつての現代グループは分裂)
・SK(鮮京)
・LG(ラッキーゴールド、幸福金星)
・ロッテ(日本が発祥の地)

この5大財閥が今や韓国経済のみならず、世界経済をも牽引するようになってきているのは、周知の通りだ。その一方で、前項の歴代大統領と同じく、いずれもトップか事実上のトップが逮捕や起訴をされているという、およそ他の国では考えられないようなスキャンダルが相次いでいるのだ。しかも起訴はされても、ほどなく特赦などで赦免になり、金があれば釈放されるという、「有銭無罪」がまかり通ってきたというのも現実だ。加えて、身内同士の争いや訴訟、自殺なども珍しくないことは、ロッテの親子・兄弟の争いでも記憶に新しいところだ。また、かつての現代グループが経済危機や内紛で解体し、今は現代自動車グループとして再建していることなども、そうした例といえよう。
このように、韓国の財閥経済は、時に近親憎悪までもエネルギーにしながら、急成長を遂げてきたといえる。是非はともかく、そのパワーには目を見張るものがある。
同時に、こうした流れとは少し違った形での新しい動きも生まれている。その動向を仁川に探った。

 

国際空港からテクノタウンへ……仁川

仁川はかつて「じんせん」と呼んだ。最近は国際空港の韓国名にあわせるように「インチョン」と呼ぶ方が多くなってきた。ここは、かつて小さな島々が点在する地域だった。これらの島の1つ永宗島(ヨンギョンド)を整地して、2001年3月にオープンしたのが、仁川空港だ。
実は、筆者はこの空港がオープンする3ヶ月程前、建設中だった現場を見に行った。仁川市内と空港を結ぶ道路や大橋は大方出来ており、すぐ近くまで行けた。島を造成して作った滑走路はともかく、民営の専用道路と鉄道が1本ずつ。これで新国際空港として機能するのだろうかと、不安を覚えたことを想いだす。
だが、この不安は良い方向にはずれた。今やシンガポール、香港、バンコクなどと並ぶ、アジアの巨大なハブ空港に変貌した。旅客数や航空貨物量だけではない。きらびやかな通路は、まるでショッピング・プロムナードのようだ。それだけではない。至るところハングル、漢字、英語と共に日本語の案内表示板もある。また、搭乗待ちの乗客を飽きさせないように、パレードやミニコンサートなども開催されている。一つの方向にエネルギーを集中し、一気にやり遂げるというコリアンパワーが、この国には備わっているようだ。

 


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左写真:仁川・松島地区・ニュータウンの高層ビル群
右写真:仁川空港内では搭乗客をなごませるミニコンサートなども開かれている
 

ところで、仁川は空港だけでなく、今やソウル、釜山に次ぐ韓国第3の都市になり、この都市自体の発展、変貌ぶりもまた目覚ましいものがある。これを少し紹介しよう。
ソウル中心部から約40㎞、車で1時間ほど。日本ならば、横浜に比することが出来るこの街に今、さまざまな施設が建ち上がっている。特に干満差の大きいこの地域のなかで松島(ソンド)地区を埋め立てて造成したニュータウンには、大型ホテル、デパート、アウトレットといった商業施設などの入った高層ビル群が林立している。マンション(アパート)やお洒落なレストランもしかりだ。
それだけではない。ここには延世大学、ニューヨーク州立大学、ユタ大学、ベルギー国立大学などの名だたる大学や研究機関、さらにはバイオ・ベンチャーや日本の企業なども相次いで進出している。ここではまた、財閥企業に限らず、今は名もない中小企業なども競うように事務所を構えている。
そんななか、中小企業が大企業に負けないようなものづくりをするという日本の「下町ロケット」のような話も聞いた。その一つを紹介しよう。金相元(キム・サンウォン)さんは30年以上、クレーン設備の工事業を経営してきたが、還暦を間近に控えて新たなチャレンジ精神が沸いてきたという。知人らの協力を得て立ち上げたのは、海水を真水に変えるコンパクトな設備を作る企業だ。この分野で、先進技術を持つスペインの企業と協力し、「飲料水不足に悩む仁川近辺の島々やアジアの国々にも普及させたい」と意気込む。すでに、公的機関などからも問い合わせが来ているという。

 


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このコンパクトな海水化設置で1日200人分の飲料水が賄えるという金相元氏

マッカーサー像のある街

仁川と聞いて、朝鮮戦争時の米・マッカーサー将軍による、仁川上陸作戦を思い出すという人も多いかも知れない。
1950年6月、北朝鮮側からの侵攻により、釜山橋頭堡ともいうべき南端のわずかな地域にまで押し込まれた韓国軍・米軍側は、これをハネ返すべく横っ腹ともいえる仁川への上陸作戦を実施した。干満の差が激しく、島と島の間も狭いため、危惧する意見も多かったが、そうした反対意見を押しのけて、上陸作戦を強行したのがマッカーサー将軍だ。兵站線の伸び切った北朝鮮軍は、これで分断され退却を余儀なくされた。朝鮮戦争史上最大のターニングポイントであった。このマッカーサー将軍を顕彰する大きな像が、仁川港を見下ろす自由公園の、これまた一番高いところに建っている。
後年、フィリピン奪還作戦や米大統領出馬をめぐるあつれき、さらには自己顕示欲の強さなどから、評価も分かれるようになったが、ここ韓国では北朝鮮の侵攻から救ってくれた偉大な将軍としての評価が高いのも事実だ。
自由公園を下ったところに、130年以上続くという中華街がある。仁川は横浜に比すると前述したが、そういえば横浜中華街もかくや、といった感じだ。炸醤麺(チャジャンミョン/ジャージャー麺)発祥の地とかで、人気の「萬多福」には昼時は数10メートルもの長蛇の列が出来るという。筆者も混雑を避けてと思い午後4時頃入ってみたが、15分ほど待たされた。ちなみに、つるっとした食感は、小腹を満たすには十分だった。

 


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左写真:仁川港を見下すマッカーサー将軍像
右写真:130余年の歴史を擁する仁川の中華街
 

ここにはまた、「赤壁の戦い」や「三顧の礼」といった三国志をはじめ中国の故事にちなんだ大きな絵を並べた「三国志通り」とでもいうべき道や、旧日本租界の町並みと家屋を再現した通りもある。
こうした港を中心とした古くからの街と、埋め立てや開発で広がるニュータウンが、空港を軸にさらに発展しようとしている。そんなことを感じさせるのが、今の仁川だ。
 
筆者が訪韓する直前、金正男氏の暗殺のニュースが、また滞在中にはサムソン・グループの事実上のトップ逮捕といったニュースも飛び込んできた。また平日こそ穏やかだが、週末になると、ソウルの中心部である乙支路や世宗路などを埋め尽くすデモも盛んだ。韓国はまだまだ揺れ続けている。

 


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左写真:ソウルのアメ横、南大門市場には食料品から衣料品まで何でもそろっている
右写真:年配者にも若者にも人気なのが手軽にできるビリヤードだ

 

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右写真:牛肉スープもさることなから食べ放題のキムチも人気のソロンタン・レストラン
右写真:金正男氏暗殺のニュースを報じる韓国・中央日報(2017年2月15日)

 

著者・経歴
株式会社ハートシステム 代表取締役
研修セミナー講師・ジャーナリスト他
坂内 正