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<深層レポート Vol.2>
ベトナム人留学生・フーンさん、再び
~日本のお父さんと新聞販売店~

はじめに

Vol.1では、「ベトナム人留学生はミゼラブルか」について紹介した。このなかで、ベトナム人留学生で新聞配達をしながら、進学を目指している、トラン・ティ・ホアイ・フーンさんを紹介した。彼女が日本語検定N1や大学進学を目指していること、この受験勉強をアルバイト先の新聞販売店主(所長)らが応援していることも。
この拙稿には望外の反響をいただいた。なかにはフーンさんはN1に合格したのか、大学進学は結局どうなった、彼女を応援した「日本のお父さん」はどんな人か、といった質問もあった。
はて、どうしたものかと迷っていたら、当の本人が5月12日付の朝日新聞「声」の欄に再び投稿した。題して「私の恩人は“日本のお父さん”」。このなかで、学校の授業にはない小論文の添削まで、お父さん所長が指導してくれたお陰で、大学に合格できたと書いている。ほのぼのとした、いい話だが、背景が良くわからない読者もいそうだ。
それならばと、フーンさんの投稿を奇貨として、再びレポートすることにした。

N1合格と大学進学

まず、日本語検定・最難関のN1は合格した。
大学の方は、東京六大学か比較的授業料の安い公立を希望していた。六大学で受験したのは結局1つ。複数受験したかったが、受験料だけで1つ何万円もしたので、1つしか受けられなかった。こちらは叶わなかったが、公立の高崎経済大学には合格した。あの小論文も寄与したに違いない。かくして今は毎日、高崎に通学している。
フーンさんは、埼玉県川口市に住んでいる。毎朝の配達を終えてから、電車を乗り継いで高崎駅に着くのは、午前8時過ぎ。ここから更にバスに揺られること30分。到着時刻は、いつも授業開始時刻の8時50分すれすれだ。大学の授業は、通常午後4時10分に終わる。これからまた、バス、電車を乗り継ぐこと2時間半。すんなり行けても、午後6時40分頃の帰宅だ。この大学には、他に同学年のベトナム人が4人いるが、全員が大学の寮に住んでいるという。

 


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忙しくても通学スタイルには気を使う

 

彼女は大学では、「地域政策」を中心に学んでいるが、もとより授業はほぼ100%日本語だ。いかにN1合格者といえども来日4年足らずでは、理解出来るのはせいぜい7割くらいだという。だから、授業についていくのも大変だ。
それなのに、空いている金・土曜日には部活も入れた。同好会ではない、本格的な弓道部である。何故かという筆者の問いに「袴姿にあこがれたから」と答えたが、そんな理由で貴重な週末を費やすのかと、つい思ってしまった。朝1時に起きて、毎朝の配達の後、大学に行き帰りするだけで、もう1日のうち4分の3近くを使ってしまう。日曜日だけが貴重な休日だ。
新聞販売店は高崎にもあるし、ここへの異動も出来ない話ではない。だというのに、こんなにしてまで毎日遠い大学に通うのか、いや通い続けられるのか、と誰もが思うだろう。

日本のお父さんは元甲子園球児

この理由こそが「日本のお父さん」にある。
前回の拙稿で、フーンさんの「大学に合格したって、もちろん“お父さん”のところで新聞配達の仕事は続けます」という言葉を紹介した。

 


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左側:2017年5月12日付・朝日新聞
右側:日本お父さん・森下所長(左)とホアイ・フーンさん

 

さればとて、フーンさんの投稿が載った翌々日、筆者は「お父さん」を訪ねた。埼玉・東川口の朝日新聞販売店(ASA東川口)のオーナー、森下哲也所長だ。
その前に、新聞販売店にあまり縁のない読者のために、少し解説しておこう。普通、企業の長を表す場合は、社長とか経営者と表記するのが一般的だ。だが、新聞販売店ではオーナーのことを所長という。その所長のもとで販売店の実務を仕切る責任者のことは店長と呼ぶ。「声」欄の編集者は、自社の販売店主のことを、その従業員が書いたということで、もしかしたら自画自賛と思われないよう忖度(そんたく)して、そのまま「所長」とだけ表現したのかもしれない。言うまでもないことだが、所長と店長のコンビがうまく噛み合うことが、店舗運営の要諦だ。
知人から、高校時代は東海大浦安のレギュラーとして、甲子園にも出場した球児と聞いていたので、長身のスポーツマンかと勝手にイメージしていた。会ってみたら、平均よりやや高いくらいで端正かつソフトな感じ。まずは、本題を差し置いて甲子園の話から聞き始めた。
何しろ当時の部員数は240名、このなかでレギュラーに選ばれ、なおかつ甲子園にまで出たと聞いては、興味津々だ。しかし、返ってきた答えは「いやー、もう30年前のことで、今のようにサッカーなど他のスポーツが盛んだったわけではなかったですからね。ただ野球に明け暮れていただけですよ。」と謙遜するばかり。ちなみに、同期にあたるのがPLの桑田、清原選手や大魔神・佐々木投手というからすごいレベルだったのだろう。こんな話をしていたら、隣にいたフーンさんが「コーシエン?」といった様子だったので、野球談議は終了し、本題に戻した。
まず「声」欄への投稿については、当日まで全く知らなかったという。それに「恩人」とか「日本のお父さん」と言われるほどのことはしてないし、何より少し照れくさい気持ちだとのこと。それでも、フーンさんの小論文の添削指導に話が及ぶと、「当初は、外国人が書く小論文なんだから、大意が通じればいいと思って手直ししたんです。ところが、彼女は日本人が読んでちゃんと通るように直してください、と譲らなかったんです。」といいながらも、がんこなフーンさんに目を細めた。ちなみに、この店にはフーンさんの他、3名のベトナム人留学生がいて、揃って真面目だというが、「4人共、フーンさんみたいに探求心が旺盛だったら、こちらが相手しきれませんよ。」と笑う。

販売店の現状と留学生

ところで、ASA東川口の陣容だが、現在の配達部数は約1万部。スタッフは社員15名を含め総勢80名。このうちベトナム人留学生は、前述したようにフーンさんを含め4名だ。
筆者も数多くの新聞販売店を見てきているが、そのなかでは一番規模の大きい店だ。
平均的な販売店は、2~3,000部、人員も15~20名くらいだから、ここはその3~4倍の規模だ。こうした平均的な店でも、7~8名の留学生を抱えていることが珍しくないのからすると、ここの4名というのは、いかにも少ない。

 


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左側:ASA東川口の前でも
右側:ASA東川口の店内

 

この点について質問すると、「確かにこの規模だと、留学生が10名いや20名いても、おかしくないかもしれません。でも私は、今くらいが適正だと思っているのです。留学生も、もちろん重要な働き手です。しかし、あくまで本業の留学があってこそ成り立つものです。
これを忘れて、外国人留学生は便利だからたくさん入れようというのは、いかがなものかと思います。
例えば、久しぶりにベトナムに帰省するといったら、3~4週間くらいは休ませてあげたいでしょう。そうすると、この間の代替要員も確保しないといけません。今は4名ですが、これが10名だったら、ローテーションや休みだって大変です。私のところのベトナム人留学生は、みんな真面目で優秀です。だからなおのこと、無理なく頑張ってほしいのです。」
今の新聞業界、とりわけ販売店の現場は、インターネットの普及などによる部数減のほか、折り込み広告の減少、慢性的な人手不足というトリプルパンチに見舞われている。なかでも、人手不足、つまり配達要員の不足は深刻だ。専業社員はもとより、新聞奨学生もかつてのようには集まらない。毎朝1時、2時に起きて休みの日以外は、1日も欠かさず300~400部を各戸に間違いなく配るという仕事をしようという若者は、今の日本では集まらないのだ。いきおい、この不足分を外国人留学生、とりわけ最近はベトナムやネパール、モンゴルなどからの学生が支える、という構図ができつつあるのだ。
この点についても森下所長は言う。「確かに、今の販売店は厳しい状況下にあります。でもこの店では、65歳以上のシニアの人達が、健康維持を兼ねて何人も働いています。シニアの人達は、総じて真面目で長続きしています。このあたりは、働いてもらう側の心構えも問われるのではないでしょうか。」ここまでくると、先程の「甲子園球児」や「日本のお父さん」の照れは消えていた。そしてフーンさんの通学にも話は及んだ。
「大学が決まった時に、高崎にも販売店はあるし、紹介もできるから片道2時間半もかけない方がいいのではないかと話をしたんです。現に1年前、やはり遠距離通学になりそうな学生がいて、本人は今のまま続けたいと言ったんですが、最終的により近い販売店を紹介して移ってもらったんです。フーンさんは、その学生の時より更に長時間かかるというのに、ここで続けるといってきかなかったんです。」ここまでくると、内心嬉しいのか困ったのか、少し複雑な表情になった。

日本のお父さんは2人いた

森下所長が中座した折、フーンさんが小耳にはさんでくれた。
「私がベトナムに里帰りした時、何と車で成田空港まで送ってくれたんです。しかも、日本に戻った時にも、出迎えに来てくれたんですよ。こんな所長はいないでしょう。ベトナム人の友達に話をしたら、自分もこの店に入れて欲しいという人が何人も出てきているんです。お父さんは、頑固でうるさいのは私だけでこりごりかもしれませんね。」
それにしても、毎日往復5時間もかけられるエネルギーは、どこにあるのだろう。まるで「風雨強かるべし」と自ら苦労を買う修行僧のようにさえ見える、などとあれこれ思いながら、一見すると工場か倉庫のような広い店内も見せてもらった。
筆者が訪問した日は、日曜日の午後とあって、普段は多くのスタッフで賑やかなこの販売店も、バイクが整然と並べられているだけで、ガランとしていた。
その人気のない店舗の一角で一人、黙々とバイクのメンテナンスをやっている人がいた。お互い軽く会釈をしたあとで、フーンさんが話してくれた。「この店の責任者の皆川浩店長です。私はバイクの修理から部屋の電球の交換まで、みんな皆川店長にやってもらっています。私が店で勉強している時は、いつもお菓子を用意してくれます。それだけじゃなくて、店長が育てたトマトまで持ってきてくれるんです。食べ物だけじゃありません。何でも相談に乗ってくれる、もう一人の日本のお父さんです。」
なるほど、合点(がてん)がいった。
 

著者・経歴
株式会社ハートシステム 代表取締役
研修セミナー講師・ジャーナリスト他
坂内 正

 
※11月20日:以前の深層レポート「ベトナム人留学生はミゼラブルか ~ある新聞奨学生の「声」~」
を公開したため、本文を一部修正いたしました。