はじめに
今年2016年1月、台湾の総統選挙でそれまで与党だった国民党の朱立倫氏を大差で破り、5月、新総統に就任したのが、民進党の蔡英文氏だ。総統というのは、中国語で大統領の意味。つまり、女性初の台湾大統領というわけだ。
中国大陸と台湾は不可分の「一つの中国」であることを認めてきた国民党・馬英九前総統と異なり、蔡英文新総統は独立志向だ。これを快く思わない中国側は、11月に入って習近平主席が国民党の洪秀柱主席と会談するなどして、「一つの中国」を認めない蔡政権に揺さぶりをかけている。こうした動きを最も敏感に反映したのは、大陸からの観光客で、蔡総統就任後は3~4割減ったという。この業界の窮状を訴えようと、9月中旬にはデモまで起きた。
そんな台湾、とりわけ観光業界の現状を11月中旬、現地で追った。
パイナップルケーキの爆買いも、今や昔
最近まで、台湾のメインの空の玄関口・桃園空港の入国審査場は、とぐろを巻くように幾重にも審査を待つ人たちであふれかえっていた。その多くは、大陸からの観光客だ。添乗員が旗を持ち、全員がビザに替わるやや大きめの入境許可証を、パスポートにはさんでいるので、同じ列に並んでも区別がつく。それに何より、行列している間もひときわ賑やかだから、すぐわかる。それが減ったのだ。
これまで右肩上がりの一本調子で、増え続けてきた観光客に呼応するかのように、急増したホテル、レストラン、土産店などからは悲鳴があがっている。以前、来た時に全く別の業態だった建物が、観光ホテルに早変わりしたのはいいが、急激な減少で、ビジネスホテルに再びリニューアルしたり、日本からのリピーター向けに、日本語で看板を出したりするホテルも出てきた。
中国人のグループは旗とパスポート・入境許可証を持って入国審査ゲートに並ぶ
何軒かのホテルやレストランにも聞いてみた。メイン通りの中山北路にある高級ホテルは「もともと約半数が日本人客で、大陸からは約1割だった。その1割が半減した。」と、ここはそんなにダメージは深くないようだ。団体客中心の中国人ツアーは宿泊先も比較的安いホテルが中心。ここは、もろに客が減っているという。同じような声はレストランや土産店でも聞いた。爆買いで人気だったパイナップルケーキも客数だけでなく、一人当たりの購買数も減っているという。「大きなバスが入ってきて、店にあるケーキがあっという間に売り切れたなんてことが、ついこの前のこと。今は閑古鳥が鳴いている」と土産店のオーナーは嘆く。
敵の敵は味方という中国の論理
かつて、反共の砦ともいえた台湾では、大陸反攻をスローガンに戒厳令が敷かれていた。容共とみなされるものだけでなく、日本からの新聞や雑誌はことごとく持ち込みが禁止されていた。唯一、産経新聞(サンケイ新聞・当時)を除いては。
産経新聞が認められていたのは、その論調もさることながら、中国大陸から台湾に逃げた蒋介石の「蒋介石秘録」を同紙が出版したからだといわれる。戦後の東西冷戦のいわば副産物として、ドイツ、中国、ベトナム、朝鮮半島に誕生した四つの分裂国家の一つとして、その一翼を担ったのが台湾である。そして、それを強権的に指導した、中国共産党にとって不倶戴天の敵が国民党だったのである。この強圧的な国民党を批判し、民主化への扉を開かせたのが、今の民進党に連なる人たちである。ありていに言えば、民進党の方が相対的には「左」なのだが、「一つの中国」を認めず、台湾独立を志向する民進党より、敵の敵でも国民党の方がましだというのが、中国側の今の本音なのだろう。理念より、実利というわけだ。
かくして、中国側のコントロールも効いて、年間400万人を超えた大陸から台湾への観光客も今や半減しているという。
左写真:産経新聞社から出版された「蒋介石秘録」
右写真:戒厳令解除を命じた総統命令・写(1987年7月)
覚悟も問われる大陸との付き合い方
本誌前号の「現代史を旅するラオス、カンボジア」と題する拙稿で、単なる圧力にとどまらず、両国に対する中国の圧倒的な存在感について言及した。
歴史的な経緯は異なるが、今、台湾や香港が中国本土との関係で揺れている。台湾では、学生の「ひまわり運動」にも後押しされた民進党が政権与党になったものの、対中国政策で目に見えるほどの有効な対策を打ち出せないまま、支持率をジリジリと下げている。
もう一方の香港では、これまた若者らの「雨傘運動」に後押しされ、香港立法会(議会)に当選した2人の「本土派」と呼ばれる香港独立を志向する議員が、きちんと宣誓をしなかったとして、議員資格を無効とされた。
中国にとってみれば、台湾や香港はもともと中国の領土だという認識があるだけに、東シナ海や南シナ海問題以上に厳しい姿勢を崩せないのである。
左写真:忠烈祠や中正紀念堂だけでなく、蒋介石・蒋経国の陵墓でも儀仗兵の交替式が行われている
右写真:台北郊外・慈湖の公園には何体もの蒋介石像が並んでいて、
ここにも中国人観光客は来訪していたが、最近は少ない
こうした現状について、台湾で観光業に従事する旧知の友人が言った。「民進党を選んだ時から、こうした事態はある程度予想はできたはずだ。以前の国民党・馬英九政権は中国に寄り過ぎて政策もはっきりしなかった。それへの反発で蔡政権を選んだのだから、手放しでホテルやバスを増やした側にも責任はある。中国と向き合うんだから、相応の覚悟も必要だと思う。中国人には来て欲しい、でも自由でありたいと言うんだが、大陸側からすれば虫が良すぎると思う。ここはもっと多くの国にPRするとか、安易な大陸バブルに走らないとか、少しは考えないといけない」と。
「ホテルも取りやすくなったし、故宮博物院や101ビルの入場混雑も少しは収まったから、日本人にもっと来て欲しいね」―――中堅ホテルのマネージャーの言葉である。ちなみに、日本からの直近1年間の訪台客数は200万人に届かない。
株式会社ハートシステム 代表取締役
研修セミナー講師・ジャーナリスト他
坂内 正