はじめに
少子化が進むなか、今や日本語学校は言うに及ばず、専門学校から大学に至るまで、中国やベトナム、ネパールなどからの留学生が急増している。一方、コンビニ、飲食店、新聞配達さらには物流センターなどの現場では、慢性的な人手不足が続いており、この多くを外国人留学生が担っていることも、今や周知の事実である。学校の定員不足をカバーしつつ、人手不足を埋めるという、いわば一石二鳥の存在として、今や欠くことができなくなりつつある。
この反面、不法就労や犯罪といったネガティブな問題について、取り上げられることも多くなってきた。特に2015年の外国人刑法犯で摘発された件数が、中国やブラジルを抜いたということで、ベトナム人と犯罪を結びつけた報道も増えている。
ベトナム人の場合、これに加えて、かなりの留学生がブローカーを介しており、この中間マージンを含め、150万~200万円近い借金をして来日しているという現実がある。こうした問題点については、以前、本誌・拙稿などでも指摘したが、改善されたという声はあまり聞かない。
こうしてなかで、時に明らかに孫引きしたようなニュースも含め「ベトナム人留学生は大変だ。その背景にはブローカーによる借金漬けがある。」といった、いささかパターン化した留学生像も流布されつつある。こういったケースで紹介される留学生の多くは、自身もしくは家族が借金したお金で来日する私費留学生が大半だ。そして、彼らの多くが毎日の生活費や授業料だけでなく、故郷ベトナムでの借金返済もしなければならないため、いくつものアルバイトを掛け持ちし、なかには犯罪に走る者もいる、といったイメージだ。
ほとんどの留学生が、アルバイトの掛け持ちをしているのは事実だ。そうしないと、借金をしていない留学生でも、一つのアルバイトだけでは、生活するのが困難だからだ。
だが、人手不足が恒常化するなかで、これまで、あまり人前での応対を必要としない配送センターや深夜の弁当作りだけでなく、居酒屋やコンビニといった、日常会話を必要とする、より高いレベルの留学生を、それも来日前から育成し、囲い込むといった流れが出来るようになってきた。大手のコンビニ・チェーンや飲食店、介護サポート、新聞販売店といったところが中心だ。こういったケースでは、現地での授業料や研修費用を支援したり、来日後のアルバイトや住まいを保証することで、少しでもレベルの高い留学生を長期に確保しようとしている。
しかし、専ら自分で費用を捻出する「私費」に対し、企業などの支援もある「支弁」といわれる留学生の現状が紹介されることは少ない。まれにあっても、匿名であったり、かなり脚色されたものも少なくない。こうしたなかで、ある新聞奨学生の現状をレポートする。
「私がお金持ちになりたい理由」の理由
昨年(2016年)12月23日、筆者のスマートフォンにメールが入った。誰からかと思って開いたら、ベトナム人留学生トラン・ティ・ホアイ・フーンさんからだ。メールの内容は、今朝の朝日新聞の「声」の欄に自分が投稿した原稿が載ったのを見たか、というもの。早速開いて「声」の欄を見た。
<左写真>ホアイ・フーンさん
<右写真>2016年12月23日付・朝日新聞
まず、タイトルの「私がお金持ちになりたい理由」というのに驚いた。内容は、子供の頃家が貧しくて母親が苦労したこと、お金持ちになればお母さんの笑顔を見られると思ったこと、だから一生懸命勉強してお金をたくさん稼げる仕事をしたい、というものだ。
実はフーンさんとは3年前、ハノイの日本語学校で初めて会い、あれこれインタビューし、そのことを本誌№96・拙稿「ベトナム人留学生とハノイの日本語学校」のなかで紹介した。その後、彼女は2014年3月に来日し、2年間日本語学校に通った。現在は2017年春の大学受験をめざし予備校に通っている。インタビューが縁で、来日してからも会ったりはしたが、「声」の欄への投稿のことは全く事前に聞かなかった。
新聞奨学生の日常
フーンさんは来日以来、今日まで首都圏の新聞販売店で新聞配達のアルバイトをしている。つまり新聞奨学生だ。
お金持ちになりたいと書いた背景を説明する前に、彼女の仕事・新聞配達の1日を紹介しておこう。
まず、起床は毎朝午前1時。1時半~2時販売店で、前日までに用意しておいた折り込み広告のセット、2時~5時頃までが配達だが、雨天の場合などは5時半とか、まれに6時近くまでかかることもある。予備校は午前9時~午後4時と長丁場なので、夕刊は配達できない。その代わり、朝刊は400部と平均的な300~350部よりやや多い。
かつては自転車が主流だったが、今の新聞配達にはバイクが必需品だ。そうでないと、とても女性が300部も400部も配れない。こうなると原付バイクの免許が要る。いかにバイク天国のベトナム出身者といえども、日本の免許証は必須だ。実技は必要ないが、筆記試験は受けねばならない。50問中45問以上正解しないと不合格になる、あの試験だ。日本人でも、結構1回で合格出来ない人がいるというのに、彼女は49問正解で合格したという。
日常生活のことについても触れておこう。毎週土曜日または日曜日が休日。これで家賃と授業料を除いての手取りは約10万円。ここから食事代、水道光熱費、電話代、交通費、社会保険料などを差し引くと、手元に残るのはわずかだが、それでも彼女は毎月故郷の両親に送金もしている。ちなみに部屋は販売店の配慮もあって個室だが、その分調理やお風呂などの光熱費はもろにかかってくるから大変だ。
バンメトートからハノイまでバスで27時間
フーンさんの故郷は、ベトナム中南部の山岳地帯に位置するバンメトートだ。ここは、ベトナム戦争当時の激戦地である。ベトナムの地図を見るとわかるが、地形はゆるいS字形をしている。北ベトナムは、南の解放戦線を支援し、南ベトナム軍をたたくべく、このS字形の西側のラオス、カンボジア国境沿いに、いわゆる「ホーチミン・ルート」という物資や武器の輸送ルートを作った。そのいわば「トンネルの出口」にあたるところがバンメトートで、古都フエと並ぶ、地上戦の最激戦地であった。今でこそ、ベトナムコーヒーの産地として知られるようになってきたが、戦争による破壊もあって、この地域の発展は特に遅れた。
ここでフーンさんは大工の父親、パート勤務の母親、姉、兄という5人家族のなかで育った。高校での成績はトップであったが、とても進学する余裕はなかったという。進路を考えていた頃、日本での新聞奨学生の話があり、すぐに応募した。この時、同じように成績の良かった同じような境遇の同級生も3人応募したが、途中で不安になったりして辞退し、残ったのは彼女一人。
それまで全く日本語を学んだことのなかったフーンさんは、半年間、日本語の基礎を学ぶべく、高校を卒業するとすぐにハノイの日本語学校に向かった。18歳の旅立ちである。
バンメトートとハノイ間は、もちろん国内線の空路はあるが、もとより航空運賃を払える余裕はなかった。かくして27時間バスに揺られての長旅となった。途中3回簡単な食事は出て、休憩もあるが、それ以外は専ら3人の運転手が交替で走り続ける。このバス代3000円もかなりの出費だったというが、他の手段はなかったのだから仕方がない。
「今思い出しても、あの狭い座席での27時間はつらかった」と彼女は述懐する。
希望する大学を目指す
筆者がフーンさんにインタビューしたのは、ハノイの日本語学校に入学して3ヶ月目頃であった。たどたどしい日本語ではあったが、大半は通訳なしで話は通じたから、今振り返ってもすごい。
来日から2年9ヶ月、フーンさんは12月4日に行われた日本語検定の最難関・N1を受験した。感触はどうだったかという筆者の問いに対し、「180点満点で100点が合格ラインです。私はギリギリの合格ではなく、180点を目指したつもりです。合格発表は2月です」―――さあ、どうでしょうか。あんまり自信はないけど、合格できたら嬉しいなぁ―――などという予定調和的な回答を予想していたが、あっさり打ち消された。文章にするとこんなだが、彼女からは自慢そうな口ぶりはうかがえない。どうやら自分を追い込むことで、それをまたエネルギーにするようなタイプなのかもしれない。
フーンさんは言う。「あの投稿をしようと思い立ったのは、誰の勧めでも指示でもありません。毎朝、自分が配達していることもあり、自分でも新聞をよく読んで様々なことに興味がわいてきました。日本に来て早や3年近く経とうとしていますが、自分が学んだ日本語の力で、かつてできなかった大学進学の夢をかなえたいのです。だからどこでも入れるところではなく、希望する大学を目指したいのです。でも、そのためにはお金がたくさんかかります。毎月貯金している分と、新聞奨学金で、2017年春の大学受験にチャレンジするつもりです」
そしてこうも言う。「販売店の所長は優しくてすごくいい人です。私にとって〝日本のお父さん″です。新聞配達の仕事は、毎日本当に大変だけど楽しいです。暇な時は自分の部屋にいるより、販売店に来て勉強しています。だってわからないことがあると、皆さんが教えてくれるし、今の時期は暖房代もかかるでしょう。大学に合格したってもちろん、〝お父さん″のところで新聞配達の仕事は続けます。」
販売店主が聞いたら涙しそうな、今の世の中では少し真直ぐ過ぎるほどの日本語が、しっかりと口を次いで出てくる。1年前にも進学はできたはずだ。何しろ今は名前さえ書ければ入学できそうな大学もあるが、彼女はその道は選ばずに、1年間予備校に通った。
そしてフーンさんは2017年春、自ら志望する大学に挑戦する。
いい話とよくない話
冒頭述べたように、今や急増する留学生や実習生についての報道も増えてきている。しかし多くはネガティブなのが中心だ。また新聞などは、実習生は取り上げても、それよりも多く存在する留学生の問題はあまり取り上げない。配達の少なからぬ部分を依拠しているため、余計な問題が出ても困ると、及び腰になっているかもしれない。その結果、留学生は残酷だ、ベトナム人の犯罪が急増している、といったニュースだけが新聞以外の媒体で拡がっているのだ。
今やトランプ新大統領に限らず、ツイッター、ネットなどの影響力は大きく、時に既成のマスメディアを凌駕することも珍しくない。だからこそ、時に不都合なニュースであっても真摯に向き合うべきではないだろうか。
いい話もそうでない話も紹介してこそ報道である。今回紹介したのは、いい話と言えるかもしれないが、これもベトナム人留学生の現実なのである。フーンさんのような留学生も実はたくさんいるのだ。
今日も来日をめざす若者の勉強が続いている
(ホーチミン市・明越日本語学校)
1月中旬、筆者はホーチミン市の日本語学校を訪問していた。来日を目指す若者たちが、一生懸命日本語を唱和していた。と、ちょうどその時、筆者のスマホにフーンさんからメールが入った。「志望校の一つに合格した」と。
株式会社ハートシステム 代表取締役
研修セミナー講師・ジャーナリスト他
坂内 正